こんにちは。ヨニプレマブログにお越しくださり、ありがとうございます。
最近、自分のスマホの壁紙を変えてみたんです。
(普段は子どもか景色の写真かな)
皆様、壁紙は何にしていますか?
私は何に変えたのかというと、
ふと見つけた、ちょっと昔の自分、おもいっっっっっきり、しあわせそうな顔してる写真。
びっくりしますよ。
その顔、美しいとか絵的に映えるとかでは全くなくて。
ものすごくふやけた顔、呆けた顔っていうか、
これ以上ないくらいバカっぽい顔してる。。
お、おまえさん、、。大丈夫か?
そんな顔さらして。
なやつ。
それを壁紙にして、スマホ見るたびにその顔を見るわけです。
すごい自己受容よ。笑
情けなければ情けないほど、よいー
(YUKOは普段キリリとした顔しているのかというと、まあ全くそんなわけないですが。)
こんなにもまじでアホーみたいな顔のYUKOの写真の横に写ってるのは誰かというと、
ある男性です。
紛れもなくこの人が私をアホにしてるんです。
というか、きっとこんな顔ばかり見せてたんだろうという事実にも衝撃。
自分的には、やばいよやばいよ~。なんだけど、
アホすぎて可愛いといえば可愛いな。と(無理矢理)思い込むことによって、
情けない自分がだんだん可愛く見えてくるおまじない(勘違い)。
この顔やばいよ。と思って捨てたゴミ箱の写真の中に、しあわせ顔があるかもしれません。
子どもといるときとか、職場とか、
いい顔してるときって他にもあると思うけど、
母とか社員としてとか、その時の役割の顔(仮面)が脱げていなかったりするから、
好きな人といる時の顔とか、
推し活してる時とか、そんな時が”ムジャキ”が出るんだと思います。
、、、これ、自分の鑑賞用ね。
傍目にはアウトですわ。わはは

今日も「性」の話しを少し。
ついこないだも、(というかこの頃なんて毎日のように)性に関連するニュースが続いています。
芸能人の遊び方とか性加害報道とか
裏に憶測される繋がりだとか
またはいい年した大人が、未成年相手に性的暴行を繰り返すニュース。
私には反射的に激しく揺さぶられる報道です。
あなたは如何ですか?この時どんな風に感じ、何を思っていますか。
揺さぶられるのはなぜだろう?

たとえば40代の男が言葉巧みに小学生女児を誘い込んで性的暴行を繰り返す、その数50件以上。そんな報道があって。
報道写真の、まるで小さな子どもみたいな顔した、いい年したおじさんの顔。
アニマにのまれた男の(末恐ろしい)現実。
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揺さぶられるのは、
解決、またはそれに至る道が見えないからだろうと思います。
どうしたらいいのか?に対して、
どこから手をつけて、何に向かって、どうすればいいのか
考えれば考えるほど絶望的に暗くなって
誰も何もいえなくなって
(話題にしても嘆きだけになって)
結局タブーはタブーのままになる。
でもさ。たとえば自分の子どもとか家族とかが、いわゆる被害者になったら。
または加害者となったら。
胸が騒がない人がいるでしょうか。

今、この時代に
フェムテックだとか、膣ケア膣トレをはじめとする生殖器まわりに関するケアとか、セルフプレジャーとか、自身の性生活及びパートナーシップを振り返るとか
思いつくままに書いてみましたが~
そういう性にまつわるアレコレがもはやちょっとトレンドのようになっていて、自分の前にもこうしてあらゆるテーマや情報があらわれている
(これが「性」なの?)
そのことと、
先に書いたような性にまつわる報道の浮上の多さ。
性とは、
自分の内面で取り組むべきこと知るべきことと、
綺麗事では済まされないこととして、
そのすべてとして、現実にもいま私達の前に提示されていると思うことができそうです。
目の前にこれらの「性」にまつわるテーマが次々やってくる、というのは、
時代のニュースでありながら
他人事ではない、と思えるのが
大人です。
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性の美しい側面だけ。神聖な部分だけ。
または
性の負の側面だけ。
自分のことだけ。
どれかにフォーカスが当たりすぎると、
理解に深みが出ない。
全体として理解しようとすると
早々と切り離して気絶したくなります。
でもさ、
タブーはタブーのままでは
摘まれた芽を放っておくようで、うずくのです。
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このままで終われるか。
(性に関する人類最大のタブー、に関して、
ある側面だけでなく、本当のことを公に発信している人は殆どいないと思えます。私が知っているかぎり、それを全体性をもって提示してくれたのは一人だけです。なぜならそれは、オープンに話すテーマにしづらいからです。どこに向かえばいいかの局面に思いっきり立たされて、責任がもてない)

私は考えてしまう。
感じるだけでなく。
どうしたらいいのか
いつまでもそれを。
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私たちに、
私に、
何が起きているのか?
私とは何なのか。
いちばん先に知るべきは、
時代でも
報道でも
性でもなく
自分自身のことだろうと。
それを知ろうとしなければ
つまりは、何もわからないのだと。
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こんなこと、手をつけたら
大変です。
そうなんだけど。
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今年は「大変なこと」が次々あらわれてくるかもしれないと感じるとしたら、それは
このタイミングで一度、
立ち止まってみようという
ほぼ強制的なタイミングなのかもしれません。
「自分」を知るのと
時代を読むのは
違う次元のようで
実は同じこと
と感じています。

性について思うことをつらつらと書き始めると、必ず「暗さ」が付きまといます。
影のように切っても切れない側面だから。
私にも時代にも影がある、とただ知っておくだけでも、理解の深度が変わっていくと思うのです。
暗くなってくれ。といいたいわけでは決してなくて
「ありのままが素晴らしい。私らしく自由に生きよう」っていう言葉のもつ力はすごい。でもさ、一時の高揚感とか開放感にて終わったりするじゃん。もっと理解したいじゃん。
そう思うのって、思考優位とかそういうことだけでなくて、
あたりまえだと思うよ。
「私」はムジャキで、たまに暗い。
リアル〜。
掲載した写真はすべて西川らむさんのオールドレンズです。おしゃべりしながらの北鎌倉ポートレート。彼女の目はいつでもナチュラルに、それはもうありのままに。光と影を取り込んでいて、いつでも加工なしで、好きなのです。
※アニマ、影。なんだそれはワード。
気になってください。その感覚を大事に。おいおい話題にしていきます。