夢物語その1
むかーしむかしの、インドのとある村。
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頑固な親父は、自分のできる最高の愛を、娘に降り注ぎ育てていました。
娘には幸せになってほしい。自分がいなくなっても、娘に不幸なく不足なく、最高の人生を送ってもらいたい。そのために、親としてできることを、やってあげたい。
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今も昔も、この国には身分の差と制度がありました。その「差」は越えられない壁のようなもの。貴族の家は貴族として、農民は農民として、人生を歩むのがこの世の常だと。
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あるとき、年頃の娘に縁談が入りました。
差別の制度を越えた、珍しい縁談の申し出だったのです。親父は歓喜し、
「これで娘は安泰だ」
と信じました。これが親父の信念でした。
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ところが娘は猛反発。お転婆娘は親父のいうことを拒絶しました。
「結婚したくない」「私の人生は私が決める」
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お転婆で奔放な娘の信念は、その世では、そして頑固な親父には通用しなかった。反発しながらも結局は「良い嫁ぎ先」に嫁にいくことになりました。
ここから、娘の人生は様変わりしていきました。
良い嫁ぎ先での生活は、娘にとって牢獄だったのです。
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数々の差別、非人道扱い、人として扱われず女をおもちゃのように、権力と腕力というパワーで根こそぎ尊厳を奪われ、それでも自分を見失わないで生きる、ということが
できなくなりました。
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「自分のままで生きることができない」
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忿怒しても、敵わない。絶望し、諦めてしまいました。娘の最期はあっけなく、早死にしました。
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親父は、自分を責め、自分が娘を殺したと、自分の信念は何だったのかと、苦悶し続けました。
やがて、その村にアシュラムをつくりました。
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女の救済。様々な事情で行き場のなくなった女たちが安らいで暮らせる場所。守ってやれる場所。聖域。駆け込み寺です。
親父のパワーは世の女の救済に向かいました。
自分の信念とは何だったのか。娘のためにと思ってした最善のことが、最悪の結果をもたらした自分の信念。俺が娘を殺したという記憶は
消えなかった。
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自分を加害者とするかぎり、「対立(分離)の構造」はなくなりません。俺が殺したのであるかぎり、記憶は永遠。
どこの世に行っても、「娘」に出会う。自分は加害者で、女を「救済」しようとする。
親父が加害者でなくなったのは、
自分の中の「女」を見つけたとき。
自分の中にも女(女性性)があり、その傷や地獄をみつけたとき。
自分が加害者の立場をとるかぎり、被害者や犠牲者がい続けます。(反対でも同じこと。)
これを統合するのは、親父にはそれこそ地獄の苦しみ。「女」の無念と絶望を切り離さず自分の中にもあったと知る。そこを見つめないかぎり、「娘」に出会い続けたから。アシュラムは女で溢れました。
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時は過ぎ。
うららかな春、ある日ある世で、親父と娘は、アシュラムにお花見に行きました。
「気持ちがいいね」「きれいだね」
数々の花が咲き、鳥が鳴き、結界が張られたスイートホーム。楽園でした。懐かしい場所。
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こんな日が来るなんてね。
娘はもう誰も恨んでいない。被害者であることをやめ、奔放さを取り戻し、人を愛しはじめた。親父の周りで好き勝手にやっています。親父はいつのまにか頑固さがなくなり、娘の自由を奪うことを一切せず、よく笑うジジイになっていました。
どっちが先でも後でもない。
残る記憶は、今思い出すために、自分が残しておいたもの。スープを煮込み熟成させ、その旨味をあじわうための時間です。
「ずっとそばにいてくれてありがとう」
「あなたがあなたでいてくれて、ありがとう」
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風に舞う花びらのように、散っていく。
ひとつのネバーエンディングストーリー。
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信念とは、もしかしたら「思い込み」で、
おもいっきり「勘違い」かもしれないね。