MEET YUKO
YONI PREMA誕生秘話
膣トレ、膣ケアの大切さに気づき、見よう見まねではじめたのはいつだったかなぁ?
自分が自分のためにやるという行為と時間はprecious&joyです。
ただ、膣トレってちゃんとできているのかな?
わからない。、、、。ふと目に飛びこんできたのがヨニエッグ。
おもわず欲しくなり、買いました。
エッグとの初対面はなんというか、、衝撃。
理由なんてわからない。なぁにこれ、エッグって笑、、、
手にもって包んでみました。
か、可愛い、、、。こみあげる愛おしさ、、、。
膣に入れてエッグを内包したとき、信じられないくらい幸せにまみれたあの時を、忘れられません。(YONI PREMA誕生の直感となったくらい!)
これは理屈では説明できない、私の感覚のおはなし。
エッグは天然のクリスタル。
パワーストーンであることは間違いない。
そのパワーに共鳴している、それもある。
でも、ポイントはそこじゃない。
私が、私の歓びの感覚を、掴んで、堪能しているってこと。
自分の膣を大切にし続けたら、どんどん素直になり感度が増してくる。わかりますか?
今まで見てこなかった部分を見ようとすること。
タブー(と思い込んでいたもの)の扉に触れること。
ヨニの扱い方は自分の扱い方と同じ。
ヨニを大切にすることは自分を大切にすること。
ヨニと自分との統合です。
切り離されていた私よ、おかえりなさい。
ヨニとむきあい、ケアやトレーニングやエッグで自分を大切にして楽しむ時間。これって女のスタンダードです。
自分を大切にして、愛して、楽しもう。
歓びは美しい。
ヨニは自然。
自分のセクシュアリティを安心して謳歌する。
思い出してほしい。
本当は誰もが知っている。
だってあなたにはヨニがある。
ありのままを生きよう。
FIRST EXPERIENCE
私のヨニエッグ初体験は、ブラックオブシディアン。
直感的に選んだと思います。
手にとってもヨニに入れても可愛くて可愛くて・・・。
新しい家族とかペットとか?そういう感じとも違う愛おしさ。
それからいつも一緒です。
使い方をひと通り調べて、あとは好きにしましたよ。
石だから、手にもてば私の体温になり、ヨニに入れれば自然と一体になりました。
よくわからないなりにブラックオブシディアンを選んだのは、この石(意思)の強さを、私は欲していたのだと思います。
“このエッグが、私のヨニに残ったエネルギーを浄化する”
手放しがたかったもの、個人的な執着や依存、悲しみとともに、これまでの記憶やカルマだと思いこんでいた信念をもクリアにする。
そんな直感があったし、実際にパワフルに影響しました。
大きさはSサイズ。日頃の膣トレ(といっても大分雑なんだけど)のおかげか、問題なかったです。
痛くもないし重くもない。途中で出てくることもなかった。
ただ、初日にうっかり入れたまま寝てしまい、結果的に半日くらいずっと入れっぱなしになってしまった。
翌日は腰やヨニが筋肉痛のようになっていて、ビックリしましたねぇ(遠い目)。本当に筋トレなんだなぁー、って思いました。
それもそのはず。重量はそれなりにありますもの。
二つ目の体験はローズクォーツのMサイズ。
おお、けっこう大きいし重い。
大丈夫なのこれ!?と思わなくもなかったけれど、試してみました。
これが大丈夫なんですね〜。
自分流儀式がどんどん開発され、入れる前、入れるとき、出すときのすべてが瞑想です。
エッグと私。ヨニとハート。私と地球と宇宙。ハートとつながるエクスタシー。ああ、だからローズクォーツ。
石は直感で選んでもいい。
同時に答えあわせできる感じです。もちろん、何も考えなくてOK。
気持ちよい感覚が、何よりも大切です。
そこからいろんなエッグを試しては、楽しんでいます。
トレーニングしているつもりなくトレーニングできているって、最高じゃないですか?
それから便秘しらずだし腹筋ができてきたし、何だかウエストが緩やかにカーブしているし(あっぱれなギフト!)。
毎日エッグとともにいる時間は、自分と繋がる時間。
これまでの私の人生で、こんなに自分を大切にする時間を自分に設けること、なかったです。
最初はそのことがなにより嬉しくて泣きました。
習慣になってくると、楽しくなってくる!
楽しんでる私、それも嬉しい。自分の体が可愛くなってくるのですね。
今までコンプレックスだった体型も可愛く見えてくるからフシギですね
YUKO HISTORY
鎌倉在住 一男一女(ティーン)の母
クラシカルホメオパシー ISHL(International School Of Homeopathy London卒業)
アカシックリーディング 一般社団法人ブッダプログラム認定リーダー
タントリックヒーリング 創始者Taroさんに師事
誰もが少なからずもっているもの、それは不安と恐れ。
多くの人が抱える不調や症状の源は、そこからといっても過言ではありません。〜なったらどうしよう、〜であったら嫌だな。
どうなるかわからない未来を思って抱くものが不安と恐れです。
怒りや悲しみ、絶望や諦めは、自分が過去を手放さないということ。
“今ここ”に自分がいない、自分を生きていない。
過去や未来を生きているということです。
体と心はどんどんチグハグになって、魂はサインを送ってくれています。
自分がわかるまで。ずっとね。
ホメオスタシス(恒常性)。
それが、自分にあらわれる症状や傾向性ともいえるのです。
でもそれらが何だかよくわからなくて・・・不調は長引き、立派な病名がついたりする(または原因不明といわれたりして。)
私の病歴や長引く不調、これが最高の私の人生!と思えない人生を生きている手応え(!)
一体私はなぜ生きているのだろう・・・。
本当のことって、何だろう。
ずっと探していました。
意識的にも無意識的にも、チグハグなことにも気づいていなかった長い年月。
「どうしても触れたくない箱」
他人はもちろん自分も触れずにいたタブーの箱。
それが自分の中にもあることに気づきたくなかった。
封印してずっと忘れていた秘密の箱———。
封印することが生きるための私の術だったこと、今ならわかります。
その箱は、ヨニに眠っていたのです。
未消化の感情、記憶は女性は子宮に宿ります。
ここからは私が13歳の時の、ストーカー、レイプ、殺人未遂のお話をします。嫌な人は先を読まないでくださいね。
私は生理がきたばかりの中学生。
いつも通り下校していたある日、今でいうストーカーにあいました。
長いまっすぐの道の、ずっと後ろを歩いていた人。
その人が、気づいたら私の真後ろにいて、間もなく襲われ、抵抗しました。
声をあげて逃げれば助かるのではないかと思ったから。
私のあがきは全く無意味で、抵抗できないくらい殴られ、捕まれた腕が少しも動かないとわかったとき、私は観念してしまった。
「力には敵わない」
このまま死ぬのだと思いました。
陵辱は言葉にもおよび、絶望して諦めちゃったのでしょう、死ぬのが怖くなかったのです。(言葉というのはすごくて、心を殺されると死にます。)
蚊やハエの気持ちがわかったような。
飛んでいただけで、突然パチンと問答無用につぶされる。
どんな高尚な真理も意味をなさない。
力の強いものには敵わない。
ところが死なずに、茂みに捨てられ、まだ生きていました。
家に帰ると母親がいて、母は私を見るなり逆上して、玄関にあった野球のバットだかゴルフのクラブだかを握りしめて走って出ていった。
男を捕まえたら殴り殺すのではという勢いだったのを覚えています。
茫然とした私は、とりあえず家のトイレに入りました。
落ちてくる葉っぱや木の枝、破れた制服や血のついたパンツをみて、
「これをみたら親が悲しむ。あんなに逆上している母をこれ以上悲しませてはいけない」と思った。
親が帰る前にとトイレを掃除しているとき、涙がひきました。
そこから人生が変わってしまったような気がするけれど、当時はその感覚もないほど麻痺して封印したのだと思います。
生活は否応なく続き、翌日から学校に行ったし地域や警察は私の絶望を確固たるものにしてくれました。
“世の中すべて、当然あると信じていたものは、すべて幻想だったんだ”と感じるにはたっぷりの状況でした。
次の生理がくるまで長ーい時を過ごし、生理がきてホッとしたとき、同時に果てしなく絶句しました。
私は親にも誰にも、レイプのショックも妊娠への不安もいわなかったのです。
男性不信、人間不信、社会不信は、”信頼の意味がわからない”私をつくり、
誰にも頼らないで生きていくべき私となり、
それでも男(力のある者)には敵わないという、自分で生きることを諦めた女となり、
もはや自分でわからないほどチグハグに生きていました(それなりにどうにかなるし)。
(そういう風に男性や世の中や自分をみていたので、当然そういう世界を生きていたよ)
それでもわりと惚れっぽく、男と女の関係を断絶しなかったのは、セックスがあったからです。
体感は嘘がない。
唯一繋がった感覚がする行為の気がしました。
繋がりたくない私と繋がりを求める私。
当時の唯一の希望だったかもしれないです。
ところが段々、そのセックスがイヤになってきたのです。
繋がる感覚がなくなりました。
希望が断たれた。
社会に適応しなければ、いよいよ生きていけないのではないか。
私は大人。私は子どもたちを育てる母。
いつまでもふわふわしてる場合じゃない、バカじゃなかろうか私。
目の前の小さな我が子が重度のアレルギーをもち、私自身も原因不明の不定愁訴のオンパレード。
健康と病気について統合的に学び実践する10年。
人間について学びながら、結局たどり着いたのは、封印していた私の中の厳重な箱でした。
これが私をスタックさせ、同時にこんなにも大切に温存していたのだと気づきました。
死ぬほど見たくなかったものは、死ぬほど見たかったもので、この箱に私の大切にしてきたエッセンスがつまっていました。
それが、愛、信頼、安心です。
今までないと思っていたものは、すべて自分の中にあったのです。
強烈に閉じ込めて、大切にしていたのだなぁ。
私が何も信じないのは、私が私を信じないからだとわかったとき、顎が外れて階段から転げ落ちるかと思いました。
私が私を大切にするよ、私を愛してあげるよ、安心していいよ、何も悪くない、そのままでいいよと、初めて自分にむかって言ったとき、
死ぬほど泣きました。
あのときのことは、私がちゃーんとわかるためのイベントだったんだ。
なぜこんなに長い時間がかかったのか?
あのときの男があらわした、容赦ない力や残忍さ、そして男の葛藤は、私の中にもあるからあらわれた。
なぜここまでするのかと思いました。
でもその通りでした。
赦すも赦さないもない、あれはいつかの私。
箱を開けたらいろんな思いが暴発するかと思ったら、
目も眩むような強烈な光の柱が立ちました。
私は私の光をこんなに閉じ込めていたのです。
なんてパワフル。これが私。
それからどんどん思い出していったのです。
やっと自分を生きている。と思いました。
嬉しくて、目に映る世界の粒子が濃くなり、
すべてがキラキラ光っていて、
何をみても感動して泣けて、
オーガズムがきました。
エクスタシー。
ああ、私はずっとこれを探していたんだと思いました。
生命エネルギーが巡りだし、細胞のすべてが躍動しているのがわかりました。
私はやっと私を生きる。愛のままに私を生きる。ありのままの自由な私。歓びを堪能して謳歌する。
そう思うことは瞬きみたいなもので、また目が閉じちゃったりもするんだけど、それでいい。
ことある事に、今だって悲しんだり苦しんだりもするけれど、それが生きるってこと。と、やっと思えたのです。
自分にどんどんむかっていくことは、他人や世界にむかっていくことと同じです。
安心して生きていいし、どんどん自分を大切にすればいいのです。
自分で自分を生きると決めた時が、本来の自分が躍動しはじめる時。
愛と信頼と安心は、見失っても見失っても、必ず自分の中にあります。
育てられます。私は自分を諦めない。もうためらったり戸惑ったりしない。
諦めないで、あなたはそのままでいい。安心していいよ。
追記:私がいいたいのは、男の行為を赦すということではありません。断固として意思表明することを諦めてはいけない。自分に起こったことを内的に統合させていくことと、それは別問題です。