何かに対して、または特定に誰かに対して、不安になる。気づいたら心配ばかりしてしまう。
子育て然り。パートナーシップや、仕事の進展も然り。よって未来に対してもたえず憂いてしまうのが、もはや常。
自分の傾向性とは、持って生まれたものと、後天的に反復練習みたいに信念をもち続けることで
ある傾向が濃くなっていく。
呼吸するみたいに自然になっているもの、それが信念。
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目の前の事象(または人)を信じるのは、なかなか勇気がいることかもしれません。
迷いなく信じるということが、どうしてこんなに難しくなってしまったんだろう。
私も、
この世界に明るい未来なんてあるのだろうかとずっと思ってきたし、
子育てや周りの人、出来事を見ていて、そりゃもう色々ありますよね。「それでも信じる」ということがひじょーーーーーーーに難しいと感じていたこともありました。
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この不可解で難解な病気は治るのだろうかとか、どうしても相入れない誰かの性格は今世ではこのままな(変わらない)のではないかとか、愛する人の人生に自分は必要ないのだとか、この子はこのまま成長するとちゃんと生きていけるのだろうかとか全く勉強しないけど大丈夫かこいつ?とか(自分だってろくにしてこなかったくせに。)、
不安がつきないのは、信頼できないから。信頼するのが怖いから。
だって、裏切られたら傷つくのは自分。なるべく傷つかないように自身を守りたい。初めから諦めておけば、傷も半減する。
生きていくうちに、傷に事前対処する術を身につける。そうして大人になっていく。
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何かを信頼しきれないから不安になる。
それは自分を信頼できないからなんだと心底わかったのは、大人になってからです。
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自分を信頼できないと何も信頼できない
という方程式は本当ですね。
「自分を信頼する」ということがようやく腑に落ちたとき、見ている「世界が変わる」という言い方がいいかな。
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逆にいうと、
どんなことがあろうと何が起きようと、それに対して自分が不安になっているときは、
「ああ、私はまた自分を信頼しきれてないんだな」と思うようになりました。
パッと見ると、思わず口を出したくなるような危なげなことも、全てはプロセスだし、どのプロセスも邪魔するべきじゃない。痛い目を見ないとわからないのだったら、それを邪魔してはいけないかもしれない。(状況によるけど。)
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どんな状況のプロセスも信頼する。
ということができるようになってきた時、私は変わったなぁ、と思えた。
今までそれができなかった私には、いちいち大事(おおごと)だったんだけど、だんだん慣れてきました。傾向とか信念て、変えられるんだなと思う。
「この人に何が起きても、絶対大丈夫。」
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この先何があっても、たとえこれからも何度傷ついても、私は死なないしきっと大丈夫になっていく、と知っていることは、
人生を変えます。
それは「愛」だし、私は女性性の最たるものだと思う。
しなやかな、内なるチカラ。
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信頼って、結構体力がいる。不安を押しのけてでも持ち続ける体力。
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何があっても、大丈夫だよ。私はあなたを信頼しています。あなたは絶対、大丈夫。
よくブレるけど、ちゃんと戻ってくるよ。必ずここに(ハートに)。
(そう言ってる時点で不安がみえるんだけどw、それでも、思い続ければいいの、いいのです。)
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信頼がわからないときは、とにかく自分の「体」を大切に扱い続けましょう。どうぞ続けてみてください。
数分でもいい、自分のために時間をとって、大切に大切に労ってあげる。その時だけは何も考えないで、体の感覚を感じるだけ。
あなたの自分の扱い方は、あなたのものの見方になっていきます。