こんにちわ。
ヨニプレマブログをお読みいただきありがとうございます。
今日は、先日艶フォト撮影をしたときのこと、それから艶モデルの女性性解放そして開花のブログをお読みいただきたく。
私は彼女とのひとときに猛烈にうたれてしまい、ブログアップが遅くなりました。
艶フォト撮影では、だいたいこのような時を過ごしていますブログです。
名前だしちゃいますが、彼女の名前はノリコといいまして、noteに「ドMの晩酌」ブログをアップされてます。その名の通り、重厚な質感の自己認識をサラリとドM全開な感じで綴っておられる、抱腹絶倒ブログです。いちいちおもろいんだよ〜
ノリコ氏は、私の友人です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
ご覧のとおり、いわずもがなの美女で、オモロブログを次々(しかもハイスピードで)書きあげるところからしても、才女なのも歴然。
知識も機智も豊富、当然仕事もできるし家事育児もぬかりない。人に対する気遣いを怠らないし、常に話題と楽しい時間を提供してくれる。子どもたちをとっても愛している母でもある。
いわゆる非の打ち所のない人です。
少なくとも、周りの目にはそう映る人。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
彼女と知り合ったのは数年前。私が通っていたブッダスクールの、スクールメイトだったんです。
一人で、颯爽としている、お昼休みになると、どっか行く、テキパキ、チャキチャキ。
ん〜、カッコイイ!みたいな都会の女感満載。
私はというとね、そのスクールではお昼休みはどこにもいかず爆睡してましたわ。講義が始まるとよくチカちゃんという友人が体をユサユサ揺らして起こしてくれたのを思い出す。つまりノリコとの接点はほぼない。
昼休みだけでなく、あんまり接点がなかった、ノリコさん。
なぜ回想録的なのかというと、ノリコがどんな女性(に人は見えるのか)を読んでおいてほしくて。
そんな彼女と、ここのところ仲良くなって、いっつも超面白く楽しく(そしてどうしようもなくしょうもなくw)私は猛烈に嬉しかったのですが、
あるとき仲間内でリーディングしあったことがあって、
ノリコ「私の解放はいつなのか?」という質問に(デフォルメですが、まあそういうこと)私は
「え〜っと、10年以内!」とお答えして、
「は〜、なげ〜!!」なんていって、その時は笑って終わったのですが
その「とき」の気配が、思いがけずさっさと来て、密かに私は震えました。
「YUKO 、私の写真を撮ってくれませんか」
まじ。
言い方をかえると彼女の完璧な感じは、ミスストイックともいえるノリコ氏、
ああ、もう決めてるんだな。
密かに驚きながら、撮影することになったのです。
ランジェリーも、撮影も、いわゆる女らしさも、切り離そうとして生きてきた女性が。
(事実こんなに美しくても、自分が切り離していたら、美しさに気づこうともしない)
彼女を遠巻きながら見つめていた私は
そのプロセス(人生)の全体として彼女に釘付けで、「撮影」で何かを始めるというよりは、既にもう始まっているダイナミックなドラマの風の中、、、
そのダイナミクスを、撮影したその日にブログに書いているという驚異のスピードに、
私はただ絶句
彼女のブログを読んで、女性性の解放とか開花とかってこういうことなんじゃないかと思って
しばらく打ちひしがれていました(歓喜で)
ぜひ読んでほしい
はい、撮影はおまけ、です。あまりに美しい自分を見てもらうのは、ギフトみたいなもの。
ノリコの自己認識、自分をどのように扱い、認識し、深めているか、そしてどのように自分の人生に反映させているか・・
彼女のブログの、どこにも刺さらない女性はいないのではないか
女性性の否定、生きづらさをこの社会への適応力に変え、果敢に己の力で生きていったこれまで。
母親との関係を掘り起こし、わざわざ会いにいったバイタリティ。
完璧にやろうとして歩んできた(走ってきた)まっすぐな道。
誰も嫌な思いをしないようにと周りのために生き、
被害者と加害者の統合のプロセスは本当に息をのみます。
ちょっと逸れますが、自分の中の被害者の視点と加害者の立場を認識し統合させていくプロセスは、
尋常でないくらい苦しいものです。
「自分が被害者であるかぎりは、加害者でもある」
「自分の中に被害者意識があるから、加害者がいる。加害者は自分だった」
頭では理解しても、心や全細胞が拒絶するという体験が私自身も忘れられない。ノリコブログにはサラリと書かれていますがそれほどのプロセスです。私たちはそういうことをアカシックリーディングや誘導瞑想などで、本当に加害者であったいつぞやの過去に何度も自らぶっ込み、思い出し、悶絶したのよね。
「この世に不条理が消えないのは、私の中にあるからだ」とわかったとき、
この世界に何度も何度も「ごめんなさい」と叫んだ日々を、書いていて思い出しました
ああ、いささか感傷的。ノリコめ。私をこんなにしてw
いやいや、ノリコと母の関係性の統合のプロセスは、そんな風な道を辿ったのだろうということがかきたかった
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
女性性の解放とは、自分の「生きる力」を取り戻していくことで、
それは、今のこのままの自分を、(時には苦しんで)思い出して
ありのままってこういうことかって
そこに向かう「力」でもあって。
それから
「生きる力」って「クリエイション」の力そのものなんです。
ここからまた力が生まれる。創造なんですね。
女オンナおんな、の開花って
「生きる力」を取り戻していくと、
おのずと艶とか美しさになっている。
とんでもない輝きで。
ノリコの美しい人生のプロセスはご本人が歩んできた道です。撮影は、きっかけというかギフトにすぎない。
彼女が彼女の美しさを、自分で見る覚悟よ、
ありがとうございます
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
撮影者私YUKOとして思い出すことは、
なんとなくいつも通りに撮影がはじまって、だんだん時間と空間の感覚がなくなって、
特に全面鏡の前にノリコがいたあの瞬間、
猛烈に光り輝いていて、あまりに美しくて絶句して、
文字通り「惚れた」というか「超愛してる」という感覚に覆われ、
「本当にきれい」と漏らした瞬間、泣けてきて、
「きれいって、可愛いって言われるのって、嬉しいんだね」
とノリコが呟いた時
私の目に涙が溢れ、
ノリコも泣いていた、あのとき
あのとき、エクスタシーだったね♡
あの瞬間が、忘れられません。
とても甘美な時間でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ノリコブログを読んで、「女性性の解放」って、たとえばこういうことなのかって感じてくれたらいいなと思って書きました。
女らしく生きるって
女性らしさって
自分らしさって
ありのままって
自分を受け入れるって
セクシュアリティって
ある一人の女性のプロセスは、とても他人事ではありません。
これは女性の奥底に流れる、共有している「女の歌」だからです。
自分だけのたぐいまれな才能と美しさは、今後もどんどん輝くでしょう。
目下、ノリコ氏の自己認識や気づきの可視化は素晴らしく、かつ頭脳もキレキレなので、
今後ヨニプレマでも活躍してもらいたいと思いまーす!(ははは、よろしく!)
いやはや、開花や解放は終わりなき旅、しかし、その先の道は唯一無二の自分の道、
ノリコパワーは花咲か爺さんばりに、この世の蕾をどんどん咲かせていくだろうな〜
こんな時間を、みんなで過ごしていこう♡
艶フォト、艶モデル撮影セッションは
今後メルマガおよびFBグループの会員様から募集します。
あなたのプロセスにご一緒させてください。会員で興味ある方はご一報くださいね。
艶モデルさんたち、これからも一緒に遊ぼうね〜
ヨニプレマメルマガ登録はこちらから
クラブヨニプレマ情報他
FBプライベートグループにご招待させていただきます(^^)