VOICE7 母・娘・女
お母様が女の人生を楽しむことで、子供に与える影響ってなんだと思いますか?
yuko:親も子も女も男もなく、人が本当にやりたいことって、ありのままの自分を生きることしかないし、それしかできないと思います。もし子どもに伝えたいことがあるとしたら、自分がそうやって生きることだけ。
子供は特に何でも感じていますよね。
口だけの、本当でないことなんてすぐ気づいてる。奥底で。
そうやってモヤモヤを製造しちゃうのは終わりにしたいんです。
私が子どもだったら、もしかしたら最初は受け入れがたいとしても、母親がヌードでもなんでもしたいことをして自由に伸びやかに人生を謳歌していると感じられたら、嬉しいです。
子どものためとか家族のためとかで、自分のやりたいことを我慢されたら嫌です。
私もそれをしてしまいそうだし、それってある意味呪いみたいだよね。
私は子どもたちを信頼しています。女として繋がって紡いでいきたいところと、罪悪感とか恥とか終わらせたいところはあって、子どもたちの方がちゃんとキャッチすると思います。
私自身も時間がかかるかもしれませんが、そうやって生きていきます。
らむ:「母親」という立場を持っていらっしゃる方も多くいるんですね。
ママが嬉しそうに写真を子供に見せると、子供は恥ずかしながらも嬉しそうで。。
その様子が微笑ましいなって思ったことがあったんです。
方や、ヌードを撮ったことを子供に知られるなんて
汚らわしい!みたいな風に思われることもあって、私は葛藤したりものするのですが
yukoさんはそういう写真が子供に与える影響ってどのように考えていますか?
yuko:私が先ほど言ったいることは理想論に聞こえるかもしれなくて、現にうちの子どもだって自分の性に戸惑っているのが垣間見えます。
だからこそ、なんだと思います。
自分一人が解かれて自由になる感覚って、女性の無意識ネットワークで必ず共鳴し合うと思うんです。女は特に、繋がる生きものです。
母親が自由になれば子も自由になるし、親が女を楽しんでいれば、子どもにも伝わる。
時差はあるかもしれないけどね。きっとわかると信頼しています。期待ではなく。
影響ってそういうことじゃないでしょうか。どう思いますか?自分がそこに不安を感じていたら、その不安が伝わるんですよね。ヌード写真はきっかけにしかすぎないです。
らむ:はい、私もそう思います。
母親であっても子供であってもお互い1人の女性として、人生をそれぞれ楽しむことって
とても大事だと思います。子供のせいにはしないで欲しいし、親のせいにもしないで欲しい。
いい意味でほっといてくれっていう距離感を保ちつつも
見守るくらいのスタンスが理想なのかなと。
yuko:自分を表現した結果として、写真を褒めてくれたり、あれは裕子だね、と言ってもらえたり、らむさんが褒められると自分が褒められたみたいに嬉しくなりました。
あ、それと、たくさん言葉を発しなくても、すべて物語ってくれますね。写真は。それはすごいメリットですね!
らむ:確かに!
写真では言いたいことを丸ごとギュッと濃縮して視界で伝えてしまうことができる。インパクトが大きい分、非言語でも物語れてしまうですね。それがやはり写真の素晴らしいところだと思います。
裕子さんは自分の写真を通して、どんな物語が伝わればいいなと思っているか教えていただけますか?
yuko:誤解を恐れずにいうならば、ありのままの女としての私が人生を謳歌している、のを体現していたいだけです。ただ愛のままでいたいだけ。それしかすることなんてありません。
言葉のいらない世界で、言葉にならない世界、言葉なんかにしたくない世界。
写真が好きなのもそこだろうと思います。写真にはそのパワーがあります。らむさんの写真は特に!
自分もありのままでいたい、人生楽しみたい、何も恐れるものなんかなかったんだ、って写真を見て思う人がいれば、いいですよね。
らむ:はい、体現こそ自然なことなんじゃないかなと感じました。
裕子さんの放つものは、写真を通してでも
エネルギーが伝播するのではないでしょうか^^!
私自身、写真を撮っているときは「無」の媒体として空気のようになっていたいんです。
だから撮られる人のパワーを強く感じるのかもしれないですね。
yuko:ほおー。撮影も瞑想みたいですね。
自分も他人もなくなっちゃう感じ、無の感じを共有して作業できるって、すごいことですよね。
あまりに奇跡で、それでいて自然ていう。
らむさんに惹かれる理由の大きな一つだと思います。
被写体も、というか私は撮影中、何かをしている感覚もなくただぼけっとしてる感じでw
何にも考えてないし、なんか本当にいい時間です。
共有しているっていうのもサイコーです。
特に女ってそれ大事ですよね。共有とか共感。一緒に味わえる喜び!